最高裁大法廷昭和62年9月2日判決は有責配偶者からの離婚請求を認める転機となった判決でしたが、その後も最高裁は有責配偶者からの離婚請求についての判決を出していますので紹介しましょう。
最高裁第3小法廷昭和62年11月24日判決(判例タイムズ654号137頁)
【事案の概要】
- 妻と夫とは、昭和27年に婚姻届出をした夫婦であり、その間に、昭和28年出生の長女があり、そのほかに子はいない。
- 妻と夫とは、婚姻届出当時ともに小学校教員をしていたが、性格等の違いから家庭内は明るい雰囲気とはいえない状態であつたところ、夫は、飲食店の女店主と親密な関係になつたとの噂が広まつたため、女店主の夫から脅迫され、また、かねて教職には適していないと考えていたことから、昭和31年、脅迫から免れるためと、更にこの際適職を見つけて生涯の仕事に就くために、妻や学校関係者に行先を知らせず単身上京した。
- 夫は、昭和32年の終わりころ、妻子のいることを明かしたうえ訴外女性と付合いを始め、同棲を始めた。
- 妻は、昭和33年春ころ、上京して夫のもとを訪ね、初めて夫と女性の同棲の事実を知つて驚き、夫に元に戻つてほしいと懇願したが、夫は帰つてくれというばかりであり、その後も何回か話合いがもたれたが、まとまらなかつた。
- 昭和48年ころ、妻は、既に東京で働いていた長女の勧めにより、49歳で小学校教員を退職して上京し、長女と同居することとなつたが、その際、夫は、荷物の運搬を手伝つたり、種々の手続をするなどして妻を援助し、その後も、妻と長女の借家の家賃を援助したりし、昭和55年には、長女が現在妻の住んでいる住居を1600万円で購入するに当たり、300万円を負担したほか、昭和59年以降は、事実上長女の借り入れた住宅ローンの支払いをしている。
- 妻は、昭和56以来、現住居で1人で生活し、年金収入により普通の生活をしているが、昭和31年ころに転落事故に遭つて以来、病気がちで、現在では脳水腫に罹患にしていて、頭痛に悩されることがあり、また、夫の再三の離婚申入れに対し、結婚した以上どんなことがあろうと戸籍上の夫婦の記載を守り抜きたいという気持からこれを拒否しつづけている。
- 他方、女性は、夫や妻に対し離婚を要求したりすることなく、妻や長女に対する配慮から妊娠を避け、長年にわたつて夫に尽くしてきて既に老境を迎えており、夫は、こうした女性の誠意、愛情に応える気持から、女性から求められたわけでもないのに、妻に対し夫婦関係調整の調停の申立をしたが、妻が4度の調停期日に1度も出頭せず不調となつたため、本件訴訟を提起するに至つた。
【判決】
右事実関係のもとにおいては、妻と夫との婚姻については、夫婦としての共同生活の実体を欠き、その回復の見込みが全くない状態に至つたことにより、民法770条1項5号所定の婚姻生活を継続し難い重大な事由があると認められるところ、夫は有責配偶者というべきであるが、妻と夫との別居期間は原審の口頭弁論終結時(昭和61年10月15日)まででも約30年に及び、同居期間や双方の年齢と対比するまでもなく相当の長期間であり、しかも、両者の間には未成熟の子がなく、妻が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情が存在するとは認められないから、冒頭説示したところに従い、夫の本訴請求は、有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすべきではなく、これを認容すべきものである。